日記

日高六郎さん逝く

こんにちは。
@pooh_1960です。

社会学者 日高六郎さんが亡くなられました。

ベトナム反戦運動や安保闘争をはじめ、平和や人権、公害問題などの幅広い分野で論陣を張り、戦後の市民運動をリードしてきた社会学者の日高六郎(ひだか・ろくろう)さんが7日午前、老衰のため、京都市左京区の施設で死去した。101歳だった。葬儀は故人の遺志で行わない。

引用:日高六郎さん、101歳で死去 ベトナム反戦の社会学者:朝日新聞デジタル

もちろん直接教えを受けたわけではありませんが、高野悦子「二十歳の原点」からさかのぼり、奥浩平「青春の墓標」樺美智子「人知れず微笑まん」と読みついでいった若かりし頃にその著書を読み、大きな影響を受けてきた方です。

最初に読んだのは、岩波新書「1960年5月19日」

樺美智子さんが生命を落とした、国家権力によって虐殺された、その理由、その時代を知るために手にしたのだと思います。

その後も日高さんの著書は読み続けていましたし、現役で活躍されていたので、その発言、思想に感化されつつ歩んでいたのです。

一度だけ実際に日高さんにお会いしたことがあります。お会いしたというより、ただ拝見した、というだけですが。
2008年4月に岡部伊都子さんが亡くなられた時にこのブログに書いた文章から

京都で大学生活をはじめて間もない頃、京都YWCAで行われた徐兄弟(当時まだ韓国・朴政権下でとらわれの身でした)の救援集会に参加しました。
その席で、主催者に「今日は岡部伊都子さんもいらっしゃっているので一言」と促されて、発言されました。私の2~3列後ろの席で立ち上がった岡部さんの凛とした姿が、今も目に浮かびます。
その会には日高六郎さんもいらっしゃっていました。
その時は岡部さんにも、日高さんにも、恥ずかしくて声をおかけすることもできず帰ってきてしまいました。いま思えばもったいないことをしたと思います。
その後も著書を読むたび、何かあるたびに、手紙でも書いて話を聞いて頂こうか、などと思いながら結局そのまま。

上の文章にある徐兄弟のことなどは、今、知る人も少ないかもしれません。当時、韓国は朴正煕の独裁政権下にあり、在日コリアンで当時韓国に留学していた徐勝・徐俊植兄弟はスパイ容疑などで囚われの身となっていたのです。検索すると様々な情報がでてきますが、現在もなくならないヘイト書き込み同様、歪んだ見方の記述も多いのでもし興味を持って調べてみよう、という方は注意して下さい。

話しがそれましたが、日高六郎さんは、「進歩的文化人」「行動する学者」という形容詞が、揶揄的な意味合いを持って語られることも多いのですが、良い意味で、その字義通りの方であったと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

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