こんにちは。
@pooh_1960です。
Twitterアカウントでおわかりかと思いますが私、1960年生まれです。
1973年〜1976年の間、中学校生活を送っています。
その当時、吹奏楽部の私たちにとっては憧れとも言える中学校バンドの一つが西宮市立今津中学校です。
そしてその西宮市立今津中学校吹奏楽部を率いていたのが得津武史先生です。
もちろん、直接お会いしてお話しをしたり指導を受けたりなどと言うことはありませんが、吹奏楽をやる人間誰もが知っている存在でした。
そんなわけで、得津武史先生のサイトをご紹介するとともに、あの時代を振り返ってみました。
得津武史先生のFacebookページそしてアメブロ
数年前から、得津武史先生のお孫さんである十川さんが得津武史先生の思い出を綴ったり資料や音源を公開するFacebookページが作成されていました。
得津武史 Facebookページ
今回、情報が多くなり過去の情報が探しにくいということで、新たにアメブロで新しいサイトを立ち上げられました。
順次、Facebookページの情報を整理し掲載していかれるようです。
takeshi-tokutsuのブログ
得津武史先生の存在は、同時代に同じステージで演奏したというものにとって誇らしく感じられます。
得津武史先生のプロフィール
今はもしかしたら吹奏楽やっていてもご存知ない方も多いかとおもいますので、得津武史先生について記しておきます。
プロフィールをFacebookページから転載させて頂きます。
「ブラスバンドの鬼」得津武史 プロフィール
大正6年 和歌山市に生まれ
和歌山中学校、大阪音楽大学ピアノ科を卒業
昭和14年 大阪市立南田辺小学校に奉職、
同年、野砲第四聯隊に召集、ソ満国境に駐屯昭和17年 暁部隊として再召集
終戦後、夙川小学校を経て
昭和31年 今津中学校に奉職。全日本吹奏楽コンクールで金賞受賞15回の前人未踏の記録達成
昭和37年 西宮市教育功労賞
昭和41年 西宮市民文化賞
昭和54年 全日本吹奏楽コンクール長年出場指揮者として表彰
昭和55年 日本吹奏楽指揮者協会優秀指揮者賞受賞。
関西吹奏楽連盟常任理事、兵庫県吹奏楽連盟副会長、西宮市吹奏楽連盟副理事長、歴任。昭和57年 11月5日午前10時52分 永眠
得津武史先生の吹奏楽コンクールでの軌跡は下記でご確認下さい。
→ 吹奏楽コンクールデータベース(指揮者:得津武史) – Musica Bella
得津武史先生が活躍されたあの時代の個人的な思い出
私が中学生だったのは1973年4月〜1976年3月でした。
その前年 私が小学校6年生だった1972年の全日本吹奏楽コンクールにわが糸魚川中学校吹奏楽部が全国大会に初出場しました。
課題曲は岩井直溥先生の『シンコペーテッドマーチ「明日に向かって」』自由曲はミッチェル『序奏とファンタジア』
その時、私はまだ吹奏楽に興味があるわけでもなく、全国大会出場の報告演奏会が開かれたこと、を覚えているくらい。でした。
もちろん、得津武史先生率いる西宮市立今津中学校も出場し、金賞を受賞しています。実はこの年、岩井直溥先生が課題曲をはじめて作曲された年でもあり、現在は吹奏楽の神様として慕われている屋比久勲先生が沖縄の真和志中学校を率いて初めて全国大会へ出場した年でもあります。
でこの年のことを岩井直溥先生が Band Power さんのサイトに連載された自伝で語っていますので、少し引用します。
中学の部用の課題曲はこれ1曲ですから、その10団体すべてが演奏したわけですが、4団体が金賞を受賞しました。団体名を見たら、すごい顔ぶれですよ。兵庫・西宮市立今津中学 (得津武史・指揮)、沖縄・真和志中学 (屋比久勲・指揮)、 秋田市立山王中学 (木内博・指揮)、 東京・豊島区立第十中学(酒井正幸・指揮)。銀賞だったけど、島根・出雲市立第一中学(渡部修明・指揮)も出ています。
因みにこの会には岩井直溥先生が課題曲を作曲することになった経緯など語られています。とても楽しいのでぜひ目を通して観て下さい。
岩井直溥先生が話されているように、当時の強豪校が揃い踏みしています。
上記で挙げられた中学校は本当に憧れの存在でした。
当時は今のように簡単に音源が手に入らず、自分たちの演奏はワールドレコードさんによる録音レコードを注文して手に入れる、他の団体の演奏を聴きたければ、上位団体の優秀な演奏を集めたLPレコードをCBSソニーが発売するのを待つしかありませんでした。
この年の中学校の部出場団体は例によって Musica Bella さんの吹奏楽コンクールデータベースで確認できます。
吹奏楽コンクールデータベース (1972年 (第20回) 全国大会 中学Aの部) – Musica Bella
翌年1973年、晴れて私も中学生になり吹奏楽部へ入学します。
しかし、もともと音楽教育などもうけておらず生来の怠け者ゆえ、1年生の時はコンクールメンバーには入れず留守番部隊でした。
しかも、残念なことにこの年1973年はわが糸魚川中学校吹奏楽部は関東甲信越大会で金賞に相当する優秀賞を受賞するも富士吉田市立明日海中学校に代表の座を奪われてしまいました。今で言う「だめ金」ですね。
この年、西宮市立今津中学校は自由曲 ワーグナー『楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》 より 第1幕への前奏曲 』でした。もちろん金賞。この年のソニーのLPは本当によく聴きました。出雲一中の『祝典序曲』、豊島十中の『さまよえるオランダ人』、花輪高校の『シェエラザード』、阪急百貨店の『こうもり序曲』と、吹奏楽から私は多くのクラシック音楽に親しんでいくことになったのです。
1974年は再び全国のステージへ。この年は私もコンクールメンバーとなり全国大会で演奏させてもらいました。
課題曲 河辺公一『高度な技術への指標』 自由曲 M.グールド『狂詩曲 ジェリコ』
この年、西宮市立今津中学校吹奏楽部は自由曲 バッハ『トッカータ−とフーガ ニ短調』で当然のように金賞を受賞。この演奏もソニーのLPレコードで繰り返し聴いたものです。
先輩から後で聞いたところによると演奏後、今津中学校みなさんと話す機会があったそうです。残念なことをしました。
1975年も全国大会へ出場することができました。
課題曲 岩井直溥『ポップスオーバーチュア 「未来への展開」』 自由曲 D.ショスタコーヴィチ『祝典序曲』でした。
この年は結果発表の表彰式で部長・副部長とともに3人でステージへ。出雲一中の3名はビシッとしていて田舎者の私たちとは大違い、なんかオーラを感じました。
この年、西宮市立今津中学校、豊島区立第十中学校は3出後の招待演奏でした。
コンクールで残念なことは、他の団体の演奏もあまり聞けず、交流する機会もなかったことです。せっかく同じステージに立ったのですが、本当に残念でした。
得津武史先生はあの時代の吹奏楽の象徴であった
最近は部活動などによる教師への過重な負担などが問題視されています。
文化庁の調査によると、吹奏楽部の部活動の時間の長さはやはり際立っています。
平日に毎日活動する文化部は約3割で、マーチング・バトンや郷土芸能、吹奏楽は6割前後と高い割合だった。
土曜に活動する文化部は約4割、日曜は約2割。土曜日の活動時間を調べたところ、5時間以上の部活はマーチング・バトン(66.6%)、吹奏楽部(48.1%)、演劇(15.3%)、美術・工芸(9.7%)と続いた。平日の活動日数が多いほど、土日の活動時間も長くなる傾向がみられた。
夏休みなどの長期休業期間中の1週間あたりの活動日数は、3日以上が半数超。5日以上が4分の1あった。6日以上は、マーチング・バトン(100%)、吹奏楽(40.7%)、郷土芸能(40%)、器楽・管弦楽(25%)の順に多かった。
とのこと。
生徒を信じて信念と愛をもっての指導であれば、練習時間が長くても厳しくてもそれが一人ひとりの力になり、良い思い出になることでしょう。
得津武史先生の足跡を振り返って拝見するとそう感じられます。
今は時代が変わりましたが、得津武史先生はあの時代の吹奏楽を象徴する存在であったことは間違いありません。
懐かしく思い出されるとともに、過去を振り返り、音楽を吹奏楽を愛する思いは引き継いで行きたいと思います。
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