敗戦から65年
残念なことに未だに日本は無益な戦争を支持し、最近は軍隊まで派遣するような情勢
先進的?なネットの世界には時代錯誤な人々が数多。
若手起業家とかベンチャーとか、革新的であるべき(と私は思うのだが)はずの人たちが保守的
平和やエコをとか叫びつつ、超保守的な言動、行動に、どうなってんだか、とあきれます
もちろん、それ以上に本当に平和を愛する人たちとのつながりも持てるのがせめてもの救い
さて、もうずいぶん以前からやらなければと思っていたこと
私の父が残した戦争中の資料の整理
あの時代を生きた市井の人間の記録。残し、伝えて行きたいと思うのです。
せめて、自分の子どもたちだけにでも…
はい、まあ、いい加減な人間だからいつまとまるか解らないので、少しずつ整理。
資料をスキャンして、できればテキスト化もしておきたいと思っています。
父は大正9年生まれ。亡くなったのは1977(昭和52)年、57歳の時
なんせ私も後1ヶ月で生後50年、簡単に言えば50歳になるわけで…
会うことの亡かった伯父の写真
父の両親(私の祖父母)は早くに亡くなり、弟と2人。その弟がこの写真の伯父。
陸軍、舞鶴港から戦地へむかったのではないかと思う。
戦死して結局、父は一人になった。
家庭用菓子購入票
父の年齢が25歳と記載されていることから、1945(昭和20)年、敗戦の年のものと思われる。
当時父は横浜にいたらしい。
「検閲済み」の印が押された手紙
伯父(弟)から父(兄)への手紙。この他に5通ほどあり。
1通のみ父が伯父へ宛てたものも。
陸軍大臣よりの弔慰金
同じ村の戦死者5名の共同の葬儀が行われたらしい。
新潟県知事からなどの弔辞が残っているが日付は昭和20年8月11日
敗戦間際だが、しっかりとした葬儀が行われた様子、親戚などからの香典もあり。
地方はゆとりがあったということなのだろうか?
父の遺品
上掲の写真、手紙など、母がB5クリアファイル1冊に保存してくれてある。
父はたしか海軍でフィリピンだかマレーシア方面へ出征したらしいが、マラリアに罹り送還された。
その後、父の乗っていた軍艦は攻撃され沈没。
マラリアのおかげで生命拾いをした。
そして、いま私や兄たち、子どもたちがこの世にいる、ということ…
繰り返してはならぬこと。
子どもたちの未来を奪わないように。
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これはおすすめの1冊!14歳だけでなく大人もぜひ!
Amazonでこの本けなしているような人たちがいるという現実も。
でも星1つはつけてるのよね。そうしないとけなせないから(^○^)
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