御経塚というと、御経塚遺跡(縄文時代の住居跡)、が連想されてしまいますが、実は御経塚の地名の由来は、戦国~江戸時代に作られた経塚(野々市町指定史跡)です。
その、経塚は、わが家のすぐ近く、噴水のある公園「泉のひろば」の一角にあります。
ニトリ御経塚店の横、馬場川沿いにあります。(→Google map)
現在、この経塚跡は、こんもりとした土盛の塚の前に、小さな祠と碑があります。
その碑には、
御経塚町の地名の由来である経塚の付近には、その昔、天台宗の眞願寺という大きなお寺があり、火災で焼失したので、お経を埋め塚にしたことや、女性が塚に上がると子供が生めなくなると伝承されてきた。
以前は、二月十五日は塚腰まつりが行われ、ヤシコと呼ぶ休日として仕事を休み、村長がお酒を経塚に供えお参りした。
祠の傅大士像は中国南北朝時代のお経を収める転輪蔵の創始者であり、よく寺院の経蔵中に安置されている。
と記されています。
石川県埋蔵文化財センターWEBサイトの解説によると、
御経塚遺跡公園から北西約300mにある御経塚墓地の横に隣接しています。経塚は、経典(きょうてん)を永く後世に伝えるため、土の中に埋納しその上を盛土し塚状にした施設で、平安時代後半からつくられるようになります。
御経塚地内の経塚は、戦国~江戸時代につくられ、地名の由来ともなっていて、県内では数少ない平地に立地しています。経塚の上には、経典を守るために祀られた傅大子(ふだいし)と呼ばれる石仏が置かれていました。この石仏は、天保10年(1839)造立されており、現在、野々市町ふるさと歴史館で展示しています。
石川県埋蔵文化財センターWEBサイト
http://www.ishikawa-maibun.or.jp/sanpo/okyouzuka.html
お買い物ついでに、ぜひ立ち寄ってみてください。
*石川県石川郡野々市町御経塚のことは、御経塚リンク集をご覧あれ。
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