こんにちは。
@pooh_1960です。
本日の Google Doodle は「エディス・キャベル 生誕153周年」でした。
私の母も第二次大戦下、東京・渋谷の日赤で看護師として働き、空襲にも見舞われながら、救護活動に携わり、生き延びてきました。
戦争は狂気、人間の愚かさの最たるもの。
第二次世界大戦を経験し日本は平和憲法のもと歩んできたのです。
しかし、今もなお罪の無い人々が戦争で生命をおとしています。
憲法をないがしろにする政治屋たちが権力を握ってやりたい放題の今。
もうこれ以上繰り返すことは絶対に避けなければなりません。
エディス・キャベル (Edith Cavell) とは?
上記のFacebookページへの投稿にも少し記しましたが、あらためてエディス・キャベルとはどんな人なのかみておきたいと思います。
1865年12月4日 イギリス生れ。
牧師である父親フレデリック・キャベルと母ルイザ・ソフィアの4人の子どもの長女(最年長の子)でした。
ロンドンで看護師ののちベルギーに渡り、まだ看護職が確立していないブリュッセルで看護学校で教えるなど ベルギーの現代看護教育の創始者と言われる存在になりました。
1914年第一対戦が勃発した時にはイギリスの母親の元へ帰ってきていたそうですが、ドイツ軍の侵攻によりベルギーが危機に陥っていることを知り、ベルギーに帰ることが義務と感じ、ベルギーに戻りました。
1915年8月20日までドイツ軍はベルギー(ブリュッセル)を占領していました。
ブリュッセルでは敵味方の区別なく救護にあたるとともに、ドイツに占領されたブリュッセルから、ベルギーの兵士や英国兵士を中立のオランダに逃れる手助けをする活動をしていました。
しかし、8月5日そうした活動からスパイ容疑でドイツ軍に逮捕され、10月7日に裁判で死刑判決を受け、10月12日に銃殺されます。
戦争終結後、エディス・キャベルの遺体は掘り起こされ、母国イギリスに帰ります。
ウェストミンスター寺院で記念礼拝が行われ、生まれ故郷のノリッジ大聖堂(Norwich Cathedral)に埋葬されました。
参考:
Who Was Edith Cavell? | Imperial War Museums
Edith Cavell – Wikipedia
ナイジェル・クラーク『エディス・キャベルのための墓碑銘 (Epitaph for Edith Cavell)』
エディス・キャベルの文献がないかと検索してみましたが日本語の文献はないようです。
英語の文献はAmazonでも数多くみつかります。→Amazon検索結果:Edith Cavell
しかし、エディス・キャベルで検索して見つけたのが吹奏楽曲でも有名なナイジェル・クラークのヴァイオリン独奏曲。
それが、『エディス・キャベルのための墓碑銘 (Epitaph for Edith Cavell)』です。
Amazon Music :『エディス・キャベルのための墓碑銘 (Epitaph for Edith Cavell)』
Amazon Music Unlimited で聴くことができます。
演奏時間 3:35という短な曲です。
ヴァイオリンの静謐な中にも躍動感も感じさせるメロディ。
信念を貫いたエディス・キャベルの人を感じさせる良い曲です。
ナクソスからCDがリリースされています。
ナイジェル・クラーク:13の独奏楽器のための室内楽集
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