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1974(昭和49)年 第22回全日本吹奏楽コンクールの想い出・課題曲「高度な技術への指標」、自由曲「狂詩曲『ジェリコ』」

吹奏楽

こんにちは。
1974年 中学2年生だった @pooh_1960です。

先週の土曜 2013年7月20日 高校B部門、小学校部門を皮切りに、いよいよ石川県吹奏楽コンクールがはじまりました。
2013(平成25)年度 第61回石川県吹奏楽コンクール 出演団体・演奏順 | 御経塚通信

次の日曜、7月28日(日)は我が娘も高校A部門に出場します。
練習の成果を発揮してくれることとと思います。

子どもたちが吹奏楽をやるなど夢にも思っていなかったので、本当に嬉しい限り。
親孝行な子たちです。多謝。

1974年第22回全日本吹奏楽コンクール 神戸大会 の思い出

そんなわけで、毎年のことですが、この時期になると、私もコンクールのステージに立った時のことなどを思い出したりしています。
1974年第22回全日本吹奏楽コンクールと1975年第23回全日本吹奏楽コンクールに2年連続して出場することができました。

先日、先輩がYouTubeに当時の音源をアップしてくれていたのでご紹介。
まずは、私が中学2年、1974年の全国大会での演奏です。翌1975年の分はまた後ほど。

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この1974年の全国大会は神戸でした。

Wikipediaによると1972年に初めて普門館で全国大会が開催されたが、翌1973年から1976年までは別会場、1977年からは中学・高校の部は普門館で行われるようになり「吹奏楽の甲子園」と呼ばれるようになるわけです。
私たちが出場したのはちょうどその空白の期間。

実はあまり、記憶がないのですが、

  • 前日の夕食か?レストランでフォークとナイフで食べるような洋食でした。テーブルマナーを教えておけばよかったと、引率の先生が嘆いていた
  • 同じ宿舎(旅館)には東北学院大学シンフォニック・ウインドアンサンブルのみなさん。東北訛りのお兄さんたちと少し会話を交わした
  • 出番待ちのステージ袖で聴いた 八戸市立湊中学校の「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」に感動した
  • あまり他校の演奏を聴いたり、他校との交流ができなかったのが残念に思えた

ステージでの演奏はあっという間、夢のような瞬間でした。

新潟県糸魚川市立糸魚川中学校吹奏楽部 第22回全日本吹奏楽コンクール 全国大会(銀賞受賞)

上越地区大会-新潟県大会-関東甲信越大会-全国大会 という道のりでした。

今は西関東、東関東、というブロックに別れていますが、関東甲信越というブロック。
新潟県では新井中学校、関東甲信越では山梨県富士吉田市立明見中学校と代表の座を争う、という構図でした。

全国では、御三家 今津中学校、出雲第一中学校、豊島第十中学校をはじめ、秋田 山王中学校、沖縄 石田中学校といった強豪校などがひしめきあっていました。

そんな中で演奏できたことは、いま思えば本当に幸せなことでした。

また、この年の課題曲から本格的なポップス課題曲が導入されました。
ご存知「高度な技術への指標」 ドラムセットを購入するために廃品回収したのもよい思いでです。

吹奏楽コンクールデータベース (1974年 (第22回) 全国大会 中学の部) – Musica Bella

課題曲:高度な技術への指標 河辺公一

自由曲:狂詩曲「ジェリコ」 モートングールド

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