金大祭(金沢大学)で「蟻の兵隊」を観て来ました。
敗戦(ポツダム宣言受諾)とともに武装解除され、日本へ帰国するべき日本軍部隊が、軍命令により残留し、国民党軍とともに中国共産党軍と戦い続けた。
生き残り、捕虜となったあと、帰国した兵士たち。
しかし、日本という国家は、彼らを逃亡兵扱い。
「蟻の兵隊」は、その日本兵の一人、奥村和一さんを追ったドキュメンタリー映画。
もう、80歳を超えた奥村さんが、自分たちがなぜ残留させられたのか、真実を明らかにする裁判を闘う、それは、すなわち兵士としての自分の過去を赤裸々に、その行為を、思いを明らかにすること。
そこから見えてくるのは、軍隊というものが、いかに非人間的な存在であるのか。
一人の少年兵が、殺人マシーンに育て上げられていく過程。
戦争の実態、中国での日本軍の実態。
過去をつまびらかにする、そうした行為がどれほどつらいものであるか、想像するだに難くありません。
奥村さんとほぼ同世代の、私の母も、戦争の話しを見るのも聞くのも嫌だ。と、いいますし、1984年にピースボートの旅で南京を訪れた時、南京で従軍した元日本兵の方が現地の方々に謝罪する、ということで乗船されていましたが、精神的に耐えられなかったのでしょう、キャンセルされました。
映画の中で特に印象に残ったのは、奥村さんがはじめて人を殺した、初年兵教育として「肝試し」として中国の人を銃剣でつきさして殺した、その地を訪れ、その時の様子を見た地元の人に話しを聞くという場面。
奥村さんに突如現れる「日本軍兵士」としての顔、と日本兵に強姦され生き延びた女性が現在の奥村さんにかけた言葉。
北朝鮮の問題も、中国や韓国を初めとするアジアの人々の思いも、こうした史実をしっかりと見つめないことには見えてこない、と思います。
日本は法治国家なのか、今の状況は・・・
想いはいろいろありますが語りつくせません。
日本史、世界史を何十時間勉強するよりも、貴重な気付きをもたらしてくれる映画です。
機会をみつけてぜひ、ご覧になって下さい。
- 蟻の兵隊
- http://www.arinoheitai.com/index.html
オフィシャルサイト。映画の情報、各地での上映予定 - 九条の会・金大ネット
- http://www.ku-union.org/users/nine/
今回の上映会の主催「九条の会・金大ネット」 - 第43回金大祭
- http://www.ad.kanazawa-u.ac.jp/ad_gakusei/campus/kousei/enjoy/kindaisai02.htm
統一テーマは「既成性の地平を越えて-拓け! 黎明の大地を」
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私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵 奥村 和一 酒井 誠 by G-Tools |
コメント
金大祭、忙しくて行けませんでした。。。。。
そういうの上映してたんですね。。。
多分自治会あたりかな???
平和憲法の重要性を描く劇映画『日本の青空』撮影開始
大澤豊監督の平和憲法の重要性を訴える映画『日本の青空』が、憲法公布60周年の11月3日にクランク・インした。
共同通信が以下の記事を配信
憲法「押し付けでない」 鈴木安蔵さんの映画製作へ
日本国憲法公布から3日で60年。連合国軍総司令部(GHQ)の憲法草案に影響を与えたとされる日本側「要綱」作成の中心メンバーだった故鈴木安蔵さんを描く映画「日本の青空」の製作が今月から始まる。映画製作者は「憲法が米国の押し付けではないことを伝えたい」と話している。
鈴木さんは1904年に福島県で生まれ、京大中退後、在野で憲法を研究した。45年の日本敗戦後、社会統計学者の高野岩三郎さんらと「憲法研究会」を結成。「憲法草案要綱」をまとめ、GHQに提出した。
要綱は「統治権は国民より発す」と国民主権を打ち出し「国民は法律の前に平等」「国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す」など現行憲法と共通の条文を列挙していた。
GHQ草案を基にした憲法が制定後、要綱と似ていることが早くから指摘され、草案作成を担当したGHQ民政局のラウエル氏が「要綱は民主主義的で賛成できる」と評価した文書が59年に見つかり、大きな影響を与えたことが確認された。
「日本の青空」製作委員会の小室皓允さん(69)らはこうした経緯を知り、映画づくりを思い立ったという。
映画は雑誌編集者が鈴木さんの娘に出会い、鈴木さんの日記帳などを手掛かりに憲法誕生の核心に迫るストーリーで、編集者役は田丸麻紀さん、鈴木さんは高橋和也さんが演じる。来年2月までに完成させ、翌月からの公開を予定している。
小室さんらは製作費をまかなうため、全国の上映会場で鑑賞できる製作協力券を100枚1口(10万円)で発売中。購入すると、撮影現場の見学などができるという。問い合わせは電話03(3524)1565。
(11月3日19時1分)
四国新聞・徳島新聞・北海道新聞・南日本新聞・上毛新聞・山陽新聞・佐賀新聞・中國新聞・熊本日日新聞・西日本新聞・北陸中日新聞・中日新聞・福島民報・千葉日報・神戸新聞・長崎新聞・宮崎日日新聞・東北新聞・山陰中央新聞など、地方紙で記事が掲載される。全国紙でも大きな記事がほしいところ。
日本の青空ホームページ
映画『蟻の兵隊』 日本軍山西省残留問題
本日、2006年、5月24日、映画『蟻の兵隊』の試写を観た。
映画『蟻の兵隊』のhpアドレスは下記の通り。以下必要に応じこのhpから引用させてもらう。本記事に添付した画像はすべて 有限会社蓮ユニバース からの提供である。
http://www.arinoheitai.com/index.html
この映画は元残留兵、奥村和一の現在と過去を提示する。
奥村和一は、15歳で少年兵として徴用され、中国大陸山西省で中国軍と戦った。
中国軍と、というが実際に殺戮したのは無辜の農民である。
いまでも、最初に突き殺した場面を夢に見る。にらみ返す農民に目が向けられずあらぬ方向を向いて突き刺す。何度付いても急所、心臓を刺せない。上官が怒鳴る。
あたりでは、日本兵が農民の首を、剣で叩き切っている。
日本政府が 国体護持(昭和天皇の死刑を免れること)を条件に連合国が7月につきつけたポツダム宣言を受諾したのは昭和20年8月14日のことだ。しかし、中国山西省にいた陸軍第一軍の将兵59000人のうち2600名は、残留兵として居残り、当時共産軍とたたかっていた国民党系の軍閥に合流して戦い続けたのである。なぜ、こうなったのか?
当時(戦争終了後)、「戦犯」であった軍司令官が責任追及(戦犯として)への恐れから軍閥と密約を交わして「祖国(日本)復興」を名目に残留を画策した、と主張した。実際は、残留兵を残しておのれらだけまっさきに日本に帰国してマッカーサーにすり寄ったのである。
残留兵として戦って、捕虜になった奥村は昭和23年人民解放軍の捕虜になり、中国国内で6年あまりの抑留生活を送る。故郷新潟県にもどったのは、昭和29年のことであった。終戦の翌年、彼の軍籍は抹消されていた。日本政府は、「残留兵はみずからの意志で(すなわち軍の命令でなく)残り、勝手に戦い続けた」と主張したのである。なぜか。そうしないと、ポツダム宣言に違反するからである(武力放棄、戦闘行為の終了が一つの条件であった)。奥村等13名の中国残留兵は、軍人恩給の支給を求めて困難な裁判闘争に入る。東京地裁に提訴するも、2004年4月敗訴、2005年3月の二審でも敗訴。2005年4月に生き残った5名が最高裁…